宿屋の一室で、男三人が顔を突き合わせている。
一様に、面持ちは暗い。
もう夜も更けている為、θはソファをベッド代わりに眠ってしまった。
αが、傍らに眠るθの髪を撫で、何事かを呟く。
淡い光がθを包んだ。結界を張ったらしい。
「θには、あまり聞かせたくない」
『…帰ってきたら、教えてやる。俺達のことを』
あの傍若無人、天上天下唯我独尊な、あの、αが沈痛な表情を浮かべている。
それ程に、今回の出来事は彼にとっても辛かったのだろう。
Σも珍しく渋面だ。
クレイズ社はあの手この手でθを狙ってくる。
今回は何故か敵が本気ではなかったおかげで、何とか助け出せた。
しかし、次はどうだろう。
自分は、この幼い少女を守りきれるだろうか。
そんな不安が、三人の胸中に重くのし掛かっている
「それも、魔物を従わせてるのか?」
今までなら、そんなこと気にも止めなかった。
永禮は自分の世界がどんなに小さいか、知っている。この広い世界には、まだまだ知らないことがたくさんあることを知っている。
だから初めて経験することでも、まぁそんなこともあるのだろう、と言う程度にしか感じとらない。
しかし、今回の件はそれでは済まないらしい。
αはあの時言った通り、永禮に全て話すつもりだ。
αやΣの固い表情を見ていれば、それがどんなに彼等の負担になるかは分かる。
「今から話すことを聞いて、もし…お前が手を引きたいと思うなら、それでもいい。お前の自由だ」
そんなことを言うなんてらしくない。
そう思ったが、声には出せなかった。
きっと、彼なりに自分を巻き込まないように、と考えていてくれていたのに違いない。
本当にらしくないが、たぶん、それを話すことで永禮に悪影響を与えることをおそれていたのだろう。
「俺は、もうΣさんと一緒にいるって決めたんだよ。今更何を聞いたってもう、Σさんと離れて過ごす事なんて出来ない」
「なんだそれ」
永禮が憮然と言い放った言葉に、αがぎこちなく笑う。
苦笑いに近いが、それでも場の空気は多少軽くなった。
「さて。まず、どこから話そうか…」
陶器製のコーヒーカップを傾けながら、αが口を開く。
真剣な表情だが、先程のような沈痛さはない。
悪く言えば、開き直った、というところか。
「『協会』って知ってるか?」
少し迷った後にαが言ってきたのは、そんなことだ。
「…あのなぁ…お前、俺を馬鹿にしてる?」
「お前が猿よりバカなのは最初から知ってる」
その上で聞いてるんだ、と言う声に、不承不承永禮は知っていることをポツポツと挙げて見せた。
「えーと、あれだろ、魔物とか、災害とかの調査とか、研究とかしてるところ。てか、それがどーしたんだよ? あそこ、規模はでかいけどかなり地味な活動しかしてねぇじゃん」
「まぁ、それが世間一般の知識だろうな」
「…違うのか?」
「間違ってはいないさ。ただお前その『研究』って…何やってるか具体的に分かるか?」
「って、お前今俺のことバカだって言ったじゃんかよ。俺が知ってるわけないだろ」
自分で自分の馬鹿さ加減を言うのもどうかとも思うが。
「いや、たぶんそれが常識になってるんだ。規模は大きいのに、活動内容を具体的に知っている人間は少ない。それがどういうことか…」
含めるような言い方で、なんとなく、分かる気がした。
「地味だから、変な研究してても気付かれない…?」
「そう」
確かに、自分も知らなかった。周囲からもそんな噂はきいたことがないし、そこに勤めている、と言う人も見たことがない。
「で、そこがどうしたんだ?」
「まぁ、焦るなよ。せっかく馬鹿なお前にも分かるように説明しようとしてるんだ」
いちいち馬鹿って言うな…。
内心突っ込みたい気分だが、話の腰を折るのも気が引けるのでやめておく。
「簡単に言うと、『協会』が研究してるのは魔物と、魔物の障気によって負の存在と化した精霊を封じる方法だ」
「…精霊が…負…?」
まずい。しょっぱなから分からない。
精霊というのは、この世の至るところに存在している、『流れ』のような存在である。風や火、水、土、光、闇、時間…それらは全て精霊の『流れ』である。
人間の中にはそれらを間接的に利用し、商売としている術士もいる。火を熾したり人を運ぶほどの風を作り出したり…使用法は様々であるが、術士のレベルによって、呼応する精霊のレベルも変わる。弱い術士には弱い精霊しか動かせないということだ。
一方、魔物というのは今まで闘ってきたような生物のことで、低俗な頭脳しか持たないくせに生存本能や攻撃本能は強く、人間に害を及ぼすものをいう。独特な音や障気を発生させ、強い魔物であるほど、その音や障気も強い。問題となるのはその障気で、周囲の環境…植物や生体への影響力が強いため、時折植物や人間の成れの果てが魔物と化していることもある。
「つまり、その精霊バージョンだ」
「精霊も魔物になるのか?」
「いや、それより悪いな。魔に侵された精霊は、どちらの能力も兼ね備え、更に強い生命体になる」
初耳だ。色んな事が初耳だ。
「えぇ…と、それは何となく分かったけど…お前、やけに『協会』のこと詳しいな」
「……お前よりは詳しいさ」
一瞬馬鹿にされてるのかとも思ったが、αの真剣な表情に、そうではないと思い至る。
「俺は、生まれてから12年間、そこで生きていたんだからな」
「…どういうことだ?」
そこの社員だったということか? …それにしては若すぎないか…?
「実験材料だったんだよ。俺と、θは」
「…………」
少し、思考が止まった。
「ぇと…う?…ん?」
「俺達は『協会』がその魔に侵された精霊を封じる為に作った、素体だ」
理解が、追い付かない。
だっておかしいじゃないか。
それが本当だとしたら、αやθは…。
「さすがに馬鹿のお前でも分かったようだな。…俺達は厳密に言うと、普通の人間じゃない。素体になるべく、それに一番適したカタチで調合された生物だ」
「ちょっと待てよ!そんなん、出来るのか!?だって、人間を『造る』なんて…!」
「出来たんだ、あの人には」
そして、望むように成長したαとθに、それぞれ精霊を封じた。
「θは、たぶんここまでは知らないだろう。自分の中にいるのは魔物だと思ってる」
すやすやと寝息を立てる少女にαの視線が移動する。
それが、θがクレイズに狙われる理由だろう。
魔物は、αの中に五体。θの中に一体。
しかし、θの中にいるモノは、一歩間違えば世界を滅ぼしかねない代物だ。
クレイズはどこかでθの情報を入手し、戦闘の道具として使用できないかと考えた。
θを攫い、中身のモノを操ることが出来れば…最強の兵器になる。
「だから、θを奴らに渡すわけにはいかないんだ」
αとθが造られた存在…。
許容量が標準よりはるかに少ない永禮の脳内が、悲鳴を上げている。
パンクしてしまいそうだ。
「俺が初めてθと会ったのは12歳の時だ。俺とθは別々に育てられてたんだよ」
双子の妹がいることは知っていた。
一度も見たことも、話したこともない妹。興味がなかった訳ではない。ただ、その機会を与えられなかっただけで。
初めてθを見たのは白い研究室だった。偶然目に入った、というだけだったが、αにはその少女が自分の妹であることがわかった。
その時のθは、幾つものチューブで躰を繋がれ、精霊を無理矢理体内に封じられていた。
その時の悲鳴が…実際声には出ていなかったが…αには、θの痛みや苦痛が伝わってきた。
「θを助けたかったんだ」
初めて見る少女を、守りたいと思った。
もしかしたら、自分の存在理由を見つけ出したかっただけかもしれない。それでも。
「俺は、θを連れて、東の町へ出た」
その手段は決して穏やかとは言えない。
従えているのを隠していた精霊を使って創造主を脅し、無理矢理θを外に出し、三年に一度だけ定期検査を受けることを条件に『協会』から遠く離れた街で静に暮らし始めた。
Σはその時から保護者になってくれている。
「今回の旅は、その、三年に一度の定期検査に行く途中だった」
そこで、ふと言葉を切る。
「狙われ始めたのは、町を出てからだ」
思い出したように、ポツリと呟く。
「?」
「そうだ…どうして奴ら…」
「α?」
「おかしいじゃないか。どうして奴らは、わざわざ町の外で襲った?行動してる相手を襲撃するより、一つの町をじっとしてる相手の方が確実に仕留められる」
「それは、αが屋敷に結界を張っていたから…」
応えたΣにきつい視線を送る。
「θは、何度も一人で出歩いたことがある。一人で、だ。」
言われると、確かに、とΣも納得する。
不本意ながら、θが一人で出歩ける時は幾度もあった。
Σとα、二人同時に用事が入ってしまえば、θは自由だ。
初めて見るものがいっぱいで、好奇心を擽られれば、何処まででも行ってしまう。
「奴らも、動けなかったということか」
Σに問うと、彼も考え込む仕草で、
「理由は分かりませんが…あの街に何らかの障害があったのか…」
「どういうことだ?」
「………」
分からない、とΣも首を振る。
「まぁ、奴らの出方次第で、それも分かるか…」
「あの方が関わっているとも考えられますし」
言った言葉に、話に付いていけなくなりつつある永禮が質問する。
「あの方って?」
「…俺達を創った人だ。協会の、研究部チーフ」
「エイラ・ハントス、といいます」
「女…なんだ」
しわくちゃの男性でも想像していたのか、へー、と感嘆の声を洩らした。
「性別は、と付け加えておこう」
意味不明のことをぼやきつつ、αが永禮に視線を据える。
「で、だ」
「?」
「お前はどうする」
「どう…って?」
いきなり問われても、何がどうしてその質問が出て来るのか分からない。
「俺達の件から手を引くか?」
「なんでその質問になる?」
全く持って意味が分からない。
「どうして俺が今更、一人で、街に帰んなきゃいけないんだ? えぇと…話の流れがよく、掴めないんだが…」
憮然とした表情でαに説明を求める。
対してαは、コレだからバカは、とでも言いたげな表情だ。
「事態が大事になりすぎた。もともとお前の犠牲なんぞどーでもいいことだったんだがな…これ以上何が起こるか…俺ですら想像がつかん」
「…へぇ」
「死ぬこともあり得るってことだ」
言われて初めて、え、という表情になる。
「お前も、俺も、Σも…θも…想像もつかない大きなモノが、どこかで動いている気がする」
だから、今のうちに手を引いておくことも、考えておいた方がいい。
そう言外に臭わせて。
「お前…実は俺のこと結構好き?」
「なんだキサマは今死にたいのか。そうかそうか。気付かなくてすまなかったな」
「じょーだんですじょーだん!」
だからその杖下ろして。
冷や汗を垂らしつつ訴えると、怒りの表情を崩さないままαが言い放つ。
「次に同じ事を言いやがったら、二度とその口使えなくしてやる」
永禮に向かうのは、本物の殺気。
だが。
違う、とは、一言も言わないのだ、彼は。
変なヤツ。
そう内心で笑いながら。
「言っただろ。今更Σさんと離るなんて考えられないって。それで巻き込まれて死ぬなら、それもまた我が人生、ってね」
「…バカが」
「永禮さん…」
彼の腹部には、未だ癒えない傷があるだろう。Σを庇って出来た傷だ。
そんな目にあってもまだ、彼の意志は変わらないらしい。
「さて、と…じゃ、俺はそろそろ寝るかな」
一人晴れ晴れとした表情で立ち上がる。
んーっ、と一つ伸びをすると、そのまま「おやすみー」と部屋を出て行ってしまう。
後に残った二人は、
「…全くアイツは…」
「見くびっていたようですね、彼を…」
少々呆れ気味だ。
「普通、もう少し、あるだろ…? 悩んでみたりとか、考えてみたりとか…」
こっちだって、何の迷いもなく打ち明けたわけではない。
何も話さず巻き込むわけにはいかないと思ったから…。
「あいつ、きっと何も考えてねぇな」
「彼に救われたところもありましたね。…彼の明るさは、不思議と人を不快にさせない…」
どこか悲しみと羨望を含むその声に、
「……なぁ」
ぽつりと、αが呟く。
「初めて会った時のこと、覚えてるか?」
「……えぇ」
五年前、世話係として協会から派遣されてきたΣ。
「最初は、お前が怖かった」
「………」
「お前に巣くう闇が、怖かった」
外見の美しさとは裏腹に、その内には計り知れないほどの闇を飼っていた。
それは時として自分を飲み込もうとするほどに。
「だけど、θは怖くなかったみたいだな」
「えぇ」
初めから、懐いてきたθ。
彼女は、きっとΣの本質に気付いていたのだろう。
「私は、θに救われた」
θと出会って、彼の闇は幾らか浄化されたようだった。
彼女の白い心に触れることで、Σは徐々に自分を取り戻していったのだろう。
しかし、θだけではない。
「あなたにも」
「?」
彼は気付いていないだろう。
彼の心は純粋だ。真っ直ぐに追い求め、諦めることを知らない。
その素直さに、自分がどれだけ救われたか。
「永禮は…お前にとって、救いか?」
「………」
唐突に突きつけられたその問いに、Σは答えを返せない。
「俺は…お前の闇の正体を知らない。きっと、俺が知るべき事ではないんだろう。…でも、あいつは…」
「α」
「あいつなら、お前に…」
「α!」
いささか、強い口調。
「そんなことには、なり得ません」
どこか冷たい響きをもつ彼の声に、αは何も言えない。
「なり得るはずが…ないのですから」
Σは、いつも一人で苦しむ。
闇の中で手を伸ばして、必死に助けを求めながら、しかし、伸ばされた手を振り払ってしまう。
αには、Σを助ける術が分からない。
θと自分がΣの助けになったとは言うが…彼の闇は未だ、そこにある。
そして最近、また彼の闇が深くなってきた気がするのだ。
しかし、永禮は…。
永禮なら、Σに光を…与えることが出来るのではないかと…。
「Σ…俺は…」
「私達も、もう寝ましょう…明日も、早いのですから…」
「Σ」
呼び止める事も出来ず、Σは部屋に戻っていってしまう。
やはり、自分ではだめなのだ。
Σにも、心休まる場所を与えてやりたいのに…。
この世界は辛く苦しいことばかりではないと、教えてやりたいのに…。
そのどれも、自分は与えてやれなかった。
永禮と共にいて、彼に変化があったのは彼自身も気付いているはずだ。
幾分か、表情が増えた気もする。
しかし、それと同時に…闇が蠢きだした。
やはり誰にも…Σは救えないのだろうか。
「だけど、俺は…お前にも光を見せてやりたい…」