「大分寒くなってきましたね」
次の街まで約20キロ。あと十時間もすれば到着する。
「θ、寒かったらいつでも言えよ。永禮の上着、剥ぎ取ってやるから」
妹に対してはとことん甘い兄は、永禮に対してはとことん意地悪だった。
そして、兄よりも数百倍は優しい妹は
「でも、永禮が寒いわ」
と、言ってくれる。
「θは本当に良い子で可愛いな。どっかのガキとは大違いだ」
初めの言葉は満面の笑みで、最後の言葉は自分より身長の低いαを見下ろして口に出す。
αの眉間にしわが寄る。
「馬鹿は

風邪ひかないんだろう?お前は風邪とは無縁だな。大馬鹿だから。あぁ、でも夏風邪はよくひくだろう?夏風邪は馬鹿しかひかないから。夏になったらお前には近付かないようにするよ。俺は馬鹿じゃないけど、お前に付いたウィルスはお前の馬鹿さ加減に影響されて、判断能力が落ちていそうだからな。たとえ馬鹿じゃなくても移りそうだ。θも夏には永禮に近付くなよ」
…一つの嫌みに対して、これ程のことを言ってくれる。
「…本当に、可愛くねぇな」
なまじ顔が可愛い分、性格がより凶悪に感じる。
いくら好きな人の傍にいたいと言っても、αに嫌味を言われるたびに、無償で護衛を申し出たのは早まったかもしれないと思ってしまう。
そう、思ってしまうが、しかし、好きな人の近くにいられるというのは結構幸せだ。多少扱いが酷くても我慢できる。大体、扱いが酷いのはαだけで、θは可愛いし、Σさんは言うこと無いくらい好きだし、なかなか良い環境だと思っている。
「に、しても、Σさん。気付いていますか?」
永禮の幸せそうな表情が消え、戦士としての表情が現れる。
「はい。二人ですね」
この気配に気付く彼は本当に強いのだろうと認識する。話しを聞いただけで、実際闘っているところを見た訳ではないが、この微量な気配に気付くのは失明し、常人より感覚が鋭いのを差し引いても賞賛に値する。
「尾行されています。α、いつでも出れるように準備しとけ。θはΣさんから離れるなよ。Σさんはθを第一優先に守って下さい」
「俺が出遅れるわけないだろ」
いつも通りの憎まれ口を叩くαだが、戦士としての永禮はそれなりに評価しているし、認めている。
「誰かに狙われるようなこと、した覚えあるか?」
あっさりと言ってのける。
今までおんな生活をしてくれば、そう言い切れるのだろうか。
永禮自身も褒められた過去を持っているわけではないが、αのように言い切れる程恨みを買うようなことはしていない。
「だからもう少し可愛げのある性格になれって言ってんだよ」
「うるさいな。今のままでも十二分に可愛いだろうが」
そんなやりとりをしながらも戦闘体制に入る二人。
「おい。先制攻撃しとけよ。殺さない程度の魔法でな。それで怖じ気づいて逃げてくれたら儲けモンだ」
「殺さない程度?つまらないな」
表面上は普段と変わらない旅の風景。
しかし、αは杖を、永禮は剣を強く握る。
杖に付いている小さな鈴がチリンと涼やかになる。
「…この土地は水脈があるからな。それを壊さないような魔法を使ってくれ。万が一水脈を壊したら街の人間に迷惑がかかる」
「解ってるよ、心配性だな」
「お前の性格考えると、そうなるんだよ。そろそろ行け。敵さんも動く」
空気がピリピリし始める。一触即発の雰囲気。
αが杖を媒介にし、魔力を放出する。
魔力と空気がぶつかり合い、互いを押しつぶす。
「巧いな」
人工的な真空状態を作り出し、それを利用してカマイタチを発生させる。
魔力の微妙な調節と、カマイタチを目的物へ向かわせるための綿密な計算が必要とされる。…性格にはかなり問題があるが、魔法に関しては十分に信頼することが出来る。
カマイタチは水脈を傷付けることなく、木々の茂みへと吸い込まれていく。
「…外れた」
悔しそうな表情を浮かべ、杖を握り直す。
「なかなかの腕前だな、敵さんも。α、攻撃はもう止めておけ。敵さんの目的、教えて貰おう。もしかしたら単純なことかもしれないからな」
口ではそう言うが、永禮の表情は厳しい。αの魔法を避けられそうな人間なんて自分が知っている限りでは極少数だ。そして、その極少数は間違いなく、一筋縄ではいかないような連中だ。
「もし、単純じゃなかったら?」
αもそれを知っているから、いつも以上に冷たさを表に出している。
「その時は例え敵さんを殺してでも、お前達を守ってやるよ。ま、俺が守るのはΣさんとθだけだし」
「当たり前だ。俺ははお前なんかに守られなくても生きていける」
「図太いからな。…おい、いつまで隠れてるんだ?!お前達の目的が知りたい。俺達に何とか出来る事なら協力しても良い。出てこいよ」
そう、叫びながらもΣとθを背中で庇う。
茂みから出てきたのは、二人。
「随分とおめでたい二人組だな」
αがそう評したのは、彼等が金と銀の髪をしていたから。
「…怪我しているわ。大丈夫?おばさん」
θの悪意の全くない一言。
女性の方は上手くカマイタチを避けられなかったらしい。頬にざっくりと切り傷が出来ている。
「『おばさん』ですって?!」
金髪碧眼の女性の眉がピクリと持ち上がる。
実際のところ、彼女はそこまで年はいっていないはずだ。白く艶やかな肌も、金色に輝く髪の艶やかな女の雰囲気を醸し出している。美しいと評しても間違いない。
しかしながら。
化粧が少々キツい。
どうやらそれが老けて見える原因らしい。
「心配したのに、怒るなんて変な人ね」
θには本当に悪意がない。だからこそ、悪意のある言葉よりも身に滲みる。そのことを知っているΣは、
「θ、真実を人に伝えることはとても大切なことですが、真実は人を傷付けてしまうこともあるんです。気を付けましょうね」
と、θを諫める。
勿論、Σにも悪意はない。…多分。
「…解ったわ。ごめんなさい、お姉さん」
…この場合、『真実は人を傷付ける』ことを教えられたθが真実ではないことを口にしたのだから、本心では金髪碧眼の女性のことを『おばさん』だと思っていることになる。何度も繰り返すが、悪意はない。だからこそ、とてつもなく嫌味に聞こえ、ダメージも受ける。とどめは、
「でも、やっぱり、おばさんだよな。Σさんのほうがずっと美人だし」
という永禮の台詞だろう。自分と大して変わらない年齢の男に『おばさん』と称されて、挙げ句の果てには男の方が美人だと言ってのけるのだから、彼女への精神的被害はとてつもなく、大きいものだろう。
「あんた達ねぇ、さっきから初対面の人に言いたい放題…!!失礼だと思わないの!?」
登場した時の余裕の笑みは消え、素で怒っているようだ。
「で?目的はなんなの?」
なかなか面白い展開に、一人、笑いを堪えていたαが話しを戻してやる。
「その少女を渡して貰おうか」
青みがかった銀髪を後ろでザンバラに纏めた男は無表情のまま、自分達の目的を告げる。
場の空気が凍る。
Σはθを自分の背に隠す。
「θがどんな存在なのかを知ってるわけ?それを承知でθを渡せって?」
αの笑みが引きつる。
「あぁ、そうだが?」
男の目は黒い遮光グラスに隠されていて見ることは出来ない。真一文字に引き結んだ口元からも表情を伺うことは出来ない。冷たさしか伝わらない。
「断る。θは渡さない。貴様なんかに渡したら、θはきっと泣くことになるし、世界は壊れてしまう。…世界にはあまり興味はないけど、θが泣くことだけは絶対に許さない。素直に諦めないなら、この場で殺すよ?」
敵に対する冷酷さが全て表に押し出される。
いつも、どんな敵に遭遇しても飄々とした態度を崩さなかったαが感情を露わにした。永禮にとって驚くべき出来事だ。
緊張感が一気に増す。
「殺せるものならな。どんな手段を使ってでも少女は手に入れるが?」
ピリピリとした空気。
αと、銀髪の男が動こうとした瞬間。
「ねぇ、α」
この場に全く不釣り合いなθの声が響く。
二人のタイミングが崩れる。
「あの人、耳重くないの?」
無邪気な問いにαは小さく笑う。
「多分、重さも感じないほど、鈍感なんだよ。大体、あんなものジャラジャラ付けているから耳が重くなって、理解力が低下するんだよ。θはあんな風になっちゃ駄目だよ」
「確かに良い趣味とは言えねぇよな」
θの一言でいつも通りのαになったことに安心して軽口を叩く。
正直、先程までのαに圧倒されていた永禮は空気を壊してくれたθに感謝していた。
あのまま闘ったのでは、αはともかく、自分が集中出来そうにない。
「…他人の好みまでに口を出すのがお前達の礼儀か?」
「そうですよ、永禮。例えどんなに可笑しくても人様の趣味に文句を言ってはいけませんよ。ご本人が気に入っているのなら、黙っているのが礼儀です」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
θの無邪気な質問を経て、失礼極まりない台詞を吐く三人。
「言いたいことはそれだけか?」
女性の方とは違い、感情を乱す風でもなく、淡々としている。
「お前、オレ達に勝てると思ってんの?思ってるなら、永禮以上に馬鹿だよ」
杖を二人に向ける。
鈴が涼やかな音を奏でる。
さりげなく、永禮を馬鹿にしている辺りがαらしい。
「…お前に勝つことが目的ではない。その少女を得ることが目的だ。邪魔するなら、手段は選ばないが」
男は銃を取り出し、αに向ける。
「永禮はそこのお姉さんの相手を。負けたら、オレが生き返らせて、もう一度殺すよ」
αは強気な笑みを永禮に向ける。そんな少年に永禮は苦笑し、
「怖い応援ありがとな。素直に『死なないで』って言えば可愛いのにな。・・・さて、じゃぁ始めるか。あ、俺言っとくけど、女でも容赦しない主義なんで、そこんとこよろしく」
笑みを浮かべながら剣を抜く。
「俺の獲物はコレだけど、姐さんの獲物は何だ?」
空気がこれ以上無いという程緊迫しているのに、彼の口調はいつもと変わらない。
「私の獲物はコレよ」
艶やかに微笑みながら彼女が取り出したのは鞭。
「随分とお似合いな獲物だな」
何の躊躇いもなく、永禮は歩を進める。

一歩。
二歩。
三歩。
四歩。

空気を裂く音。
横にではなく、後ろに飛ぶ。
「攻撃範囲、意外と広いな」
彼女を中心に約5メートル。
鞭自体の長さは2・5メートル程度だが、伸縮自在の代物らしい。
「さて、どうするかな」
「どうにもできないわよ。私の攻撃範囲に入ってご覧なさい?お好きだけ、皮膚を破って差し上げるわよ」
彼女にあるのは確かな自信と実力。
「怖いね。そんなんだと、男に嫌われるぞ」
軽口は叩いてみるが、緊張が体を支配する。
本気でかからないと危ないかもしれない。



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